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 もうずいぶんと長いあいだ、つのだたかしさんによるこのリュートの作品集を愛聴している。このアルバムを手に取ったのは、たぶん世の多くの方と同じく、トマトケチャップのCM曲として使用されていたM-8「シチリアーナ」が気に入ったからなのだが(当然シングルも買いました)、さすがはタブラトゥーラのつのださんのアルバムだけあって、美しいリュートの響きを聴かせる中にも、ついつい最後まで耳を傾けてしまう魅力的な構成となっている。M-13「月とりんご」なんて、想像力を掻き立てられる良いタイトルですよね。


 実は、本作の続編に『時どき静かに』というアルバムがあるのだが、こちらはもう少し「楽しい」色合いを濃い目に打ち出している。なんと私の『時どき静かに』には、つのださんのサインが入っている。ポルトガルギターを手にして間もないころ、私自身まだ目指すところが漠然としたまま、ポルトガルギターを用いた古楽バンドというものを夢想し、現実に活動していた時期があったのだが、実は何を隠そうその頃(2004年)に、つのださん率いるタブラトゥーラと共演させていただいたことがある。その際に、つのださんにサインをお願いしたものだ。ポルトガルギターを立った姿勢で掻き鳴らしたのは、思えばあれが最後だったが(あろうことか、タブラトゥーラの伴奏でソロまで取った)、ポルトガルギターについて、つのださんと言葉を交わすことができたのは実に貴重な経験となったと、今にして思う。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

 2001年から2010年にかけて、つまり社会人となり、結婚して豊田市を出るまでの10年間、豊田市のJAZZROOM KEYBOARDの月次ライブをほぼ欠かさず見続けてきた。豊田市という東海道から外れた辺境にもかかわらず、そこでは新宿のPIT INNにレギュラー出演するような大物ミュージシャンが、熱狂するオーディエンスを前に、信じられないパフォーマンスを繰り広げた。20代の頃に、あのKEYBOARDのライブに通い詰めたことは、何にも代えがたい心の糧となっている。


 本当に多くのミュージシャンを見てきた中でも、林栄一は特異な存在だった。10年の間で何度も観たミュージシャンだが、主戦場たるフリーキーなプレイでは、まさしくぶっ飛んだ無調性の演奏で、安易な「共感」を遠ざける表現を取った。その一方で、例えばビクトル・ハラの「平和に生きる権利」といった楽曲を演奏するときのフレーズ構成力は、比肩するものがなく完璧で、なによりその演奏の美しさと説得力は、孤高と呼ぶに相応しいものだった。このあたりの両面は、板橋文夫(p)とのデュオライブ盤『Live at PIT INN』で堪能することができる。


 ここで紹介する『MONA LISA』は、その林栄一が、一見普通にスタンダードを演奏しているアルバムであるが、そのいきさつが面白い。林栄一をプロに引っ張った張本人である山下洋輔が、「林栄一のスタンダードを聴いてみたい」と願望し、自ら企画を林栄一にぶつけたものであるという。共演のミュージシャンもみな一筋縄ではいかないフリー系の奏者。フリージャズや音楽に限らず、先進的な表現をとる表現者というのは、例外なく「まともなこと」をやらせてもすごく上手いのであるが、このアルバムは本当に絶品。選曲の良さや各ソロを2コーラス以内と決めたルールも相まって、なんとも愛おしい演奏集に仕上がっている。山下洋輔も推しているとおり、アルバムタイトルとなったM-1「MONA LISA」がベストトラックだろうか。この作品によって、林栄一についての謎は、ますます深まったようにも思えるが、ともあれ、今後とも長く聴き続けるであろう、日本のジャズ最良の一枚だと思う。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

 近い世代の日本人アーティストで、なんといっても注目しているのはスガダイロー。初めて観たのは2007年のJAZZROOM KEYBOARD。鈴木勲のグループだったと記憶している。とにかくテンションMAXでキレッキレのピアノを弾く人という印象は強く残ったが、正直に言うとその時にはあまり興味を持たなかった。ところが、次に観た2010年の小山彰太トリオが鮮烈だった。以後、同世代人として、各方面でのスガダイローの活動に注目し続けている。


 これはまったくの余談であるが、スガダイロー氏は、幕末史についての造詣がたいへん深い。ライブ終了後には、いつも快く歓談に応じてくれるのだが、以前のライブでは清河八郎は幕末最大のトリックスターだという話題で大いに盛り上がった(彼の作品に、その名もズバリ「清河八郎」という曲まである)。2013年のライブではグラバーが面白いと語っていたのをふと思い出したので、備忘録代わりに、ここに挿話としてご紹介しておく。


 さて、この『刃文』という作品は2013年のリリースであるが、何を隠そう、この私もドネーションという形で、アルバム制作を陰ながら応援させていただいた次第である。記念以外の何物でもないが、いちおうアルバムのスペシャルサンクスとして私の名前が載せられている。


 収録されているすべての曲が、スガダイロー(p)、東保光(b)、服部マサツグ(ds)からなるスガダイロー・トリオによる演奏であり、彼らのインプロヴィゼーションが存分に揮われた録音となっている。面白いところでは、M-4「男はつらいよ」のテーマがセロニアス・モンク風のブルースで演奏されているが、今回のお遊びはこの一曲のみで、あとはシリアスな演奏が並ぶ。どのトラックも、適度に楽曲としての骨子が作られたものとなっており、フリージャズ一辺倒の演奏は皆無だ。ベストトラックは迷うところであるが、M-2「蓮の花」、M-6「epistrophy」、M-10「悪党」あたりを推しておきたい。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

  JAZZROOM KEYBOARDのマスター小澤さんによれば、ジャズファンは猫のようなもので、基本的に一つの店に居付くものだという。私の場合もごたぶんにもれずKEYBOARDに居付いているわけだが、そんな私でも時には他の店のライブに足を運ぶことがある。それはよほど観たい場合に限られるのだが、要は「次回KEYBOARDで演るより前にまた観たい」ミュージシャンということになる。

 

 名古屋のJAZZ inn LOVELYまで荒巻バンドを観に行ったことがある。荒巻バンドを最初に観たのは2003年の『Phew』の発売ツアー@KEYBOARDだったが、その時の印象があまりに鮮烈だったのだ。荒巻バンドは、荒巻茂生(b)をリーダーに、吉田桂一(p)、竹内直(ts、bcl、fl)、本田珠也(ds)の四人による当代きっての「濃い」バンド。叫ぶベーシスト荒巻の存在がまず圧倒的に濃い。顔も濃い。竹内直のテナーがこれまた熱い。吉田桂一は基本的にバッパーのはずだがこのバンドでは現代音楽風のピアノソロがやたら長いことがあるので要注意である。本田珠也のドラムスに至っては殆どロックだ。AC/DCのTシャツ着てるし。


  この『Phew』には、その濃いバンドの音がそのままパッケージされている。オススメはM-2「Phew」、M-3「Blues for Barron」の2曲のブルース。さすがに得意のブルースでは吉田桂一のピアノが光る。竹内直のバスクラリネットも良い味を出している。「Phew」の後半、テンポアップ後の緊張感など、まさに荒巻バンドの真骨頂といえる。


  正直に言えば、次作となるライブ盤は濃いメーターを振り切って、一曲一曲が少々重過ぎる。さすがに一曲22分もあると録音されたものの限界を超えているのではないかと思うのだ。ただし、そうは言いながらも荒巻バンドの魅力はやはりそのテンションの高さと演奏の重厚さにあるわけで、2006年に観たときなど、アンコールの「Thonpkins Square Park Serenade」に熱狂していたこともまた事実なのであるけれど。

 (旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

  オルガンジャズ好きのポルトガルギター奏者として、この作品を紹介しないわけにはいかない。というワケで、御大ジミー・スミスの隠れ名盤『Portuguese Soul』 ポルトガルのソウル(魂)です。ジミー・スミスの名盤といえば、ルー・ドナルドソンやリー・モーガンらとの一大セッションを捉えた『The Sermon』、ビッグバンドを従えた『The Cat』、70年代ファンクの名ライブ盤にして超有名なジャケットでもおなじみ『Root Down』あたりがまず挙げられますが、この『Portuguese Soul』は、ビッグバンドを従えながらに、メロウからファンクまで、ジミー・スミスの自在な表現が堪能できる実にゴキゲンな作品なのです。


  そもそも本作がタワーレコードの企画商品として「発掘」された2006年、すでにポルトガル関係者の端くれだった私は、一体どのようにオルガンジャズにポルトガル(つかファド)を表現として取り入れたのか、非常に強い関心とともに購入したわけですが、結論から言えばポルトガル要素はゼロ(笑)。ジミー・スミスによる英語のライナーノーツを流し読んだ感じでは、欧州ツアーで訪れたリスボンの街にインスパイアされてこの組曲を作ったらしいです。で、「また戻ってくるぜ、リスボン!」ってな感じで終曲を奏でるという、そんなノリ。


 というわけで、楽想はともかく、楽曲にポルトガル要素は皆無の本作ですが、プレイ、トーンともに、ジミー・スミスの作品中、実は本作が最も好みだったりします。M-1「And I Love You So」のメロウな表現は、ちょっと他では聞けないですよ。サド・ジョーンズの手によるブラスセクションも贅沢の極み。ポルトガル関係者としての思い入れも加算して、私はこのレコードを自信を持って推薦します。ただ、これから先、入手できるのかなぁ、コレ。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

  ジャズファンを自称するには、相当偏ったジャズの聴き手である。というか、基本的に言えば、マイルス以外に通史的に聴いているアーティストもいないし、そもそも50年代はともかく、60年代以降ならオルガンジャズや日本のジャズミュージシャンの方を好んで聴いているくらいだから、言う人に言わせれば、もはやジャズファンですらない。そんな私だが、レッド・ガーランドのある種のブルースの演奏に関してだけは、ことさら愛聴している。いや、これもまた「ジャズファン」の人たちの冷笑の対象となりそうであるが、ともかくレッド・ガーランドのブルースだけは誰が何と言おうと譲れないのである。


  この『When There Are Grey Skies』は、レッド・ガーランドが一旦音楽活動から身を引く直前の1962年に録音されている。時代としてはすでにモードジャズ全盛のはずであるが、レッドは相変わらず50年代を引きずったスィンギーな演奏を展開している。ところが、である。その一方で、このアルバムに収録されたスローナンバーは、これまでに類のなかった滋味深さを備えているのである。 巷間まず名演として挙げられるM-3「セント・ジェームズ病院」も確かに悪くない。悪くないのだけれど、表現としては、M-1「Sonny Boy」やM-6「Nobody Knows The Trouble I've Seen」のようなスローナンバーの方が更に上を行っている。


  ここに、「急速な進化こそヒップである」とされた60年代初頭のジャズシーンから取り残されつつあった、レッド・ガーランドの到達した一つの境地を感じないではいられない。この静かな演奏に、誰にも解らない彼の心の内を聴きながら過ごす時間は、私にとって何物にも代えがたい癒しとなっている。それは取り残された者の悲哀ではなく、むしろ誇りそのものであったと私は想像するのだが、いかがだろうか。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

 映画『Festibal Express』は映画館で観た。何といっても、大好きなThe BandとJanis Joplinが大画面の中で共演しているのだ。上映予定を知ってしまった以上、これを逃す選択は無かった。


 『Festibal Express』は、1970年、当時を代表するロック・ミュージシャン達を乗せた列車がアメリカ大陸のトロント~カルガリーを横断するツアーをドキュメントタッチで撮った90分のフィルムだ。当然ながら映画化を視野に入れて撮影された映像であったが、当時の諸事情により作品化が中断してしまう事態となり、文字どおり「伝説のフィルム」として、ロックファンの間ではその存在を囁かれ続けていた。2000年代に入り、ようやく作品化に漕ぎ着けられたのは、僥倖としか言いようがない。


 大画面で観たThe Bandやジャニスは、まさに圧倒的な迫力だった。The Band関連で特筆すべきは、やはり「Slippin' and Slidin'」の映像。リチャード・マニュエルの華々しいピアノのイントロに始まり、全員参加のボーカル、リック・ダンコの黒く弾むベースライン、ロビー・ロバートソンの荒々しいチキン・ピッキング、レヴォン・ヘルムのタイトなリズムとカウボーイ・ハット、そしてガース・ハドソンの炎のほとばしるような後奏のオルガンと、何もかもが圧巻の一言。


 この映画のハイライトとなったジャニス、リック・ダンコ、ジェリー・ガルシアが酩酊して「Ain't No More Cane」を歌うシーンは、やはり胸にこみ上げるものがある。当然のことだが、私が映画館で観た2005年時点では、すでにみな鬼籍に入っている。思い返せば、この翌年あたりからレヴォン・ヘルムが息を吹き返したように精力的な活動を再開して、私もキャリアの最後を同じ時代に見届けることができた。1970年の映像だが、2000年代に映画化され公開された本作のことを、私は「僕らの時代の」ロック映画と思っている。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)

 ファドの演奏者の端くれ(本当に端くれ)として、ファドのレコードを紹介することはそれなりに責任を伴うことであるが、あくまで個人的な思い出を呟くコーナーということで大目に見て頂きたい。それゆえ、伝説的なアーティストの作品は紹介しないのだけれど。


 ジョアナ・アメンドエイラの『Joana Amendoeira』は2003年にリリースされた彼女の通算3枚目のアルバム。日本でも本アルバムは、ファドの若手注目株の実質的なデビュー盤として広く宣伝されたので、ファド関係者ならずとも、ワールドミュージック方面に関心のある方ならご存知かもしれない。このアルバムリリース直後、どういういきさつかは不明だが(国内プロモーターとマリオ・パシェコの思惑が一致したのだろうが)、アメンドエイラ自身、アルバム宣伝のため日本を訪れ、サイン会などを催したようだ。少し専門的に言えば、全編「古典ファド(ファド・カスティーソ)」を軸に構成された作品であり、過剰な装飾のないファドの純文学的な表現を楽しむことができる。


 なぜこのアルバムを取り上げたか。実は2003年、ポルトガルギターを手にしたばかりの私が、後先考えずにポルトガルに渡航した際、ジョアナ・アメンドエイラその人から直接買った思い出のCDなのだ。アルファマの「Clube de Fado」で、当時レギュラーだったアメンドエイラのステージを観て、新作だというこのアルバムをよく分からないままに買ったが、とても良いアルバムだと思う。「抱擁とともに」とされた彼女のサインが、私のただ一度のポルトガル渡航の記憶を、あのアルファマの夜の記憶を、いまだおぼろげに呼び起こすのである。

(旧サイト「続・ギタリスタ漫遊記」より転載)


 ポルトガルの首都リスボンの都市歌謡「ファド」の伴奏に使用される楽器。呼称はギターだが、リュートから派生して誕生した楽器で、右手の奏法に共通点が見られる。

 ポルトガルギターにはリスボンスタイルとコインブラスタイルの2つのタイプがあるが、ファドにおいては一般にリスボンスタイルが使用される。

 ファドの伴奏は、アドリブ主体で展開されるが、ファド・コリード、ファド・メノール、ファド・モウラリーアといったファドの基本パターンを応用しながら演奏を組み立てていく。